2004年、振り返ってみようかなってちょっと思った。
|
1)誕生日はカンボジアで。
カンボジアのロシア料理屋で静かに30歳を祝福される。脱皮したように気分がよかった。
2)教える仕事がメインになった。
これまでもしてたのだけれど、某国立施設で講師を本格的にはじめた。毎週毎週若者に会っていたので、若いエキスをちゅうちゅうと吸いとれたのが、よかったわねえ。
3)と思っていたら大阪に呼ばれる。
貯金もある程度あったし、そもそもお金を使わない性分だから、このまましばらくやってこうかなぁ、と思っていた矢先、大阪の友人から緊急の仕事が。そしてなぜかそのまま職員にされてしまう。「東京と大阪で仕事をかけもつフリーター」という、不思議な身分になる。
4)軽く引越し。
これも良かった。阿佐ヶ谷を離れ、こっそりと武蔵野市在住になりました。
5)ブログなんてものをはじめたのだった。
始めた頃はここまですばらしい友人たちと出会えるなんて思ってなかったさ。ありがとみんな。
6)短歌なんてものをつくりはじめたのだった。
始めた頃はまさか本づくりに参加できるようになるなんて思ってなかったさ。ありがとみんな。アンド枡野さん。
7)ミャンマー行った。
ほとんどの時間を貨物船の中で暮らして、まるでマンマユート団になったかのような生活だった。荷揚げ・荷降ろしを繰り返して、まるで男みたいな上半身になる。男だけど。
僕の行った村、今たぶん津波で大変なことになっています。でも全然報道はないし、個人では二度と入れない地域だし、確認のしようがない。マハイさん、生きててくれよ。
8)12月は本作りの月。
僕はほんとにちょっとだけしか手伝えなかったんだけど、でも、プロの仕事っていうのを久しぶりに見た気がする。これまでにも少しは原稿を書いてきたし、編集者とやりとりする経験って他の人よりは多かったほうだとは思うけれど、ここまで細かく、ちゃんと言葉が届くチームってなかった。おいしいところだけ体験させてもらっちゃったのかも。とにかく幸運でした。
9)友人がよく死んだ年だったな。
70過ぎだったが、同じ未来を目指していた人が亡くなった。僕は彼と二人きりで酒を飲むことだけを夢見てここまでやってきたのに。
50代だったが、これから仲良くなろうとしていた人が亡くなった。僕は彼にもっといろいろなことをしてあげられるはずだったが、彼の病気を治すことだけはできなかったのだから、なんの意味もない。
60代の、もう10年以上前に死んでいてもおかしくなかった人が亡くなった。性格のまがった奴だったが、そのことを本人の前で口に出せるぐらい性格のまっすぐな奴だった。彼の遺作集は来年出版される。
10)そしていま、
東京には雪が降っている。