「その店はうどん屋か?」
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ある町のうどん屋にいき、うどんをくう。
しばらくたってまたその町にいくと、顔のない男たちが僕をとりかこみ、
「その店はうどん屋だったか?」
と僕にきく。
「はい」
「なぜそう主張するのだ?」
「主張もなにも、単に事実をいっただけで」
なんのことだ、と僕は奇妙なきもちになる。
「事実というなら証拠があるはずだ」
「ええと、実際に僕はそこでうどんをたべたんです」
「それはたまたまうどんをだしただけかもしれないだろう? 店ではなく、個人の家だったかもしれない」
「いえ、店員がいましたね」
「営業許可証をちゃんと確認したか?」
「いえ」
「ほらみろ。こいつは証拠もないのに、うどん屋があった、うどん屋があったとうるさくがなりたてている」
「がなりたててはいません」
「ならば、なぜ、その店がうどん屋ではなかったという可能性をみとめようとしないのだ」
「体験したことに可能性もなにもないのでは」
「われわれは公平な議論をする知性をもっているので、あの店がうどん屋であるなどという、一方的で強圧的で根拠のない主張をする権利もみとめる。あの店がうどん屋でないのは、われわれのただしい調査と議論によって合意された常識的な事実なのに、おまえの発言の権利を保障してやっているのだ」
かれらのいう知性は、どうやら僕のこれまでしたしんできた知性とは、ぜんぜんちがうものみたいだった。
しかたなく、かれらが混乱しないように整理して説明した。
「あなたたちの議論には興味がないのですが、僕の体験をはなしますと、僕は一般的なことばでいううどん屋で、これまた一般的にいううどんをたべたんです。これでわかりますか?」
「またがなりたてた! われわれがこれほど精緻で公正な議論でおまえに配慮してやってるのに、おまえときたらおなじ主張をくりかえすばかりだ。この知的レベルのたかさがわからない非町民め。うるさくでしゃばりやがって」
「なぜ、うどん屋にいったらうどんがでてきたのでたべた、というシンプルなことばが、つたわらないんです?」
「証拠も提示できず、自分の経験だからとしかいいつづけられないのは、あやしいな」
「あやしい?」
「ほんとはうどん屋にいっていないのに、たべてもいないうどんのことをはなしているな」
「いや、だから僕はたべましたよ、うどん」
「またおなじ調子でうそをつきはじめた。もう正体はわかったぞ。おまえはやつらの一味だな」
「やつら?」
「こんな簡単な議論でも話がつうじず、おまえが非常識なうそをつきつづけるのは、おまえがやつらの手先だからだ」
「そんなに非常識だった? あとやつらの手先って、なに?」
「われわれはこんなにも時間をかけてうどんについて議論し、理論をうちたてた。おそらく、あの有名なうどん屋否定の論文さえよんでないのだろう?」
「あなたがた同士であなたがたの言葉でこねまわした奇妙な理屈を、なんで僕がよまないといけないの?」
「なにもよんでもいないのにうどん屋存在説を主張するとは、典型的だな。やっぱりおまえはわれわれの敵だ。敵からおくりこまれた工作員だ」
ほかのすべてがまわりくどくつたわりにくかったのに、かれらははげしい敵意だけはこのうえなくシンプルにダイレクトに表現していた。なので会話はうちきり、家にかえり、この町には二度とたちよらないときめた。
「議論にまけた犬が尻尾をまいてにげていくぜ」とだれかが僕のうしろでわらうのがきこえた。
かれらのたたかっている敵とは誰のことなのか、僕にはわからない。
でも、たしかにかれらは人類全体にはやっかいな敵なのかもしれない、とすこしおもった。