いもをまぜる
|
あれで正しいものを選べたことがない。
カタログに並ぶグッズはどれも僕には中途半端だ。
自分のほしい物よりも高すぎるか、
自分のほしい物よりも安すぎるものばかりが並んでいる。
身の丈にあった物じゃないと、結局、使うチャンスがないまま放置されることになる。
こんまり先生いうところの「ときめき」の一切ない物体。新婚の二人の好意そのものなのだから、気楽に捨てるわけにもいかない。新品の宿業を背負うようなものだ。
そんな出口のない呪物が自宅に送られてくると想像しただけで、絶望的な気持ちになった。
もう、何でもいいから現金でくれればいいんじゃないか。
そういうプラグマティックな人のために、カタログには換金性の高い「商品券」「QUOカード」なんかも載っている。なんとぬかりないこと。
でも、いざとなるとそこまで即物的な選択にはなかなか踏み切れないものだ。新婚カップルの幸せを現金化しているという意地汚さ、はしたなさが心に痛い。貧しい者ほど無駄なプライドに行動が左右される。
「下品だとおっしゃられるなら、美術館の年間フリーパスはどうです?」
僕の迷いを見透かしたようにカタログが口を挟む。
「かように洗練されたお客様にはぴったりかと存じますが」
ああ、確かに美術館フリーパスは気が利いている。小粋じゃないか。僕は毎月美術館に通う、レオンの表紙みたいなスーツの自分を想像した。なんてかっこいい週末だ。仮想の自分は知的で上品で、モテそうだった。
もちろん現実の僕はひたすらにぐうたらで出不精だ。レオンに載ってる洋服なんて一着も持っていないし、美術館だって滅多に行かない。行って一回、あるいは一度も行かずに無駄になる。
「ほら見なさい、だからQUOカードになされば良かったじゃありませんか」
一年後に僕のところに再び現れたカタログが鼻で笑うのが目に浮かんだ。
カタログはなんでもお見通しなのだ。
注文期限が迫っていた。気を利かせたつもりの返礼がここまで人のメンタルを責め立てているとは、新郎新婦は考えてもいないだろう。
「肉にしよう」
疲れ果てた僕は、弱々しく彼女にそう言った。念のため言っておくと、彼女というのは、悩んだ末に実体化してしまったカタログの化身のことではない。
ブランド和牛もあったが、そうではなく、そのカタログに載っているもっとも重量の多い肉、つまり単価の安い肉を頼むことにした。普段グラム100円前後の肉を食べている我々にとってはそれだって十分高級だったが。
10日後、ドーン、と効果音がついているかのような迫力でクール宅急便が届いた。冷凍庫は注文した次の日に掃除し、あけておいた。
そして今日、その最後の250gを食い終え、これを書いている。
「しゃぶしゃぶ用」と書いてあったが、霜降りの脂がもったいないので全部焼いて食ってやった。脂がフライパンの中になみなみと溜まるほど出たので、それで添え物の野菜を炒めたり、赤ワインとニンニクの芽を追加投入してソースにしたりして食べた。
この上なく満足な引き出物だった。
肉が美味かったからだけではない。
長い内省によって気づいたのは、僕がもっともほしいものは現金でもレオンの服でもスノッブな生き方とかでもない、ということだった。僕が求めていたのは「生きる技術の習得」だった。
今日、僕は生まれて初めてきちんとしたマッシュポテトを作って添えた。フレンチとかで出てくるクリーミーなやつだ。引き出物がなかったら、そんなものの作り方を習得することはなかったろう。牛乳の適切な量がポイントだ。
別に食べ物屋を職業にするわけではないから一銭の得にもならない。世の中でいう「スキルアップ」とは似ても似つかない。資格でもなければ生涯年収増にもつながらない。
ただ、この先ずっと、自分が望めばいつでも、僕は彼女に美味しいマッシュポテトをふるまうことができる。
その自信が僕の人生をどれだけハッピーにさせるのか、あなたにはわかるだろうか。